空間トランスクリプトーム解析(spatial transcriptomics)のうちイメージング型(Xenium・CosMx・MERSCOPE など顕微鏡で1分子ずつ数える方式)は、1分子ずつの座標を測ります。そこから細胞を作り、細胞型を決め、位置関係を読む。このトラックでは、その各段階を追ってきました。ここでは全体を1枚の地図にまとめ、繰り返し現れた原則を取り出します。
1. トラックの地図

| ブロック | 扱ったこと | 中心の問い |
|---|---|---|
| 入口 | 何を測る技術で、どこが難しいのか | 行列はどこから来るのか |
| 分子の世界 | 読み込み・転写産物レベルの QC | その分子は本当に存在したのか |
| 境目 | セグメンテーション | 分子をどの細胞に割り当てるか |
| 細胞の世界 | 細胞の QC・正規化・アノテーション | その細胞は何か |
| 下流解析 | ニッチ・会話・ドメイン・サブセル局在 | 位置から何が言えるか |
💡 境目の前と後では、できることが違う
分子に対してできることは、切ってしまえば戻ってきません。細胞に割り当てられなかった分子は、行列に入らないまま消えます。だから、対照プローブの除去も品質スコアのフィルタも、切る前に済ませておく必要があります。そして境目をやり直せば、その先はすべてやり直しです。
分子に対してできることは、切ってしまえば戻ってきません。細胞に割り当てられなかった分子は、行列に入らないまま消えます。だから、対照プローブの除去も品質スコアのフィルタも、切る前に済ませておく必要があります。そして境目をやり直せば、その先はすべてやり直しです。
2. 繰り返し出てきた3つの原則

3. 原則1 ─ 細胞は、測定されたものではなく作られたもの
測定されるのは1分子ごとの座標であって、細胞ではありません。細胞 × 遺伝子の行列は、分子を細胞に割り当てて初めて生まれます。つまり計算の産物です。
| 場面 | どう効いたか |
|---|---|
| セグメンテーション | 手法を変えれば、細胞の数さえ変わる |
| 細胞レベルの QC | 分子数が少ない細胞が、生物学か切り方かを面積で見分ける |
| ニッチ・近傍解析 | 過分割が同じ型どうしの隣接を水増しする |
| 細胞間コミュニケーション | 融合した細胞が、偽の接触を作る |
| サブセル局在 | 核の輪郭がずれれば、核内と細胞質の判定が崩れる |
Segger の論文はこれを、ほぼすべての下流解析にとって決定的でありながら、この方式の弱点であり続けていると表現しています(Heidari et al., bioRxiv, 2025)。
⚠️ 結果を見ただけでは、生物学と区別できない
「この2つの細胞型は隣り合っている」という結論が、切り方の産物であっても、統計だけを見ていては分かりません。だから切り方を変えて、同じ解析を回す。結論が保たれるなら、それは計算の産物ではない。この検証は、そのまま論文に書けます。
「この2つの細胞型は隣り合っている」という結論が、切り方の産物であっても、統計だけを見ていては分かりません。だから切り方を変えて、同じ解析を回す。結論が保たれるなら、それは計算の産物ではない。この検証は、そのまま論文に書けます。
4. 原則2 ─ パネルが、結果の解像度の上限を決める
測るのは、あらかじめプローブを設計した遺伝子だけです。この制約は、下流のあらゆる段階に現れます。
| 場面 | どう効いたか |
|---|---|
| 細胞型アノテーション | 参照が細かく分けていても、パネルに無いマーカーでは分けられない |
| 細胞間コミュニケーション | リガンドと受容体の両方がパネルに要る |
| サブセル局在 | 局在を見たい遺伝子が無ければ、何もできない |
| 空間可変遺伝子・活性 | 検定の対象そのものが、パネルの範囲に限られる |
⚠️ 「検出されなかった」と「そもそも測っていない」を書き分ける
パネルに無い遺伝子は、発現が 0 なのではなく測っていないだけです。「この経路は働いていなかった」ではなく、「この経路はパネルに含まれておらず、評価できなかった」が正確です。この区別は、結果を書くときに必ず要ります。
パネルに無い遺伝子は、発現が 0 なのではなく測っていないだけです。「この経路は働いていなかった」ではなく、「この経路はパネルに含まれておらず、評価できなかった」が正確です。この区別は、結果を書くときに必ず要ります。
パネルを大きくすれば分けられる型は増えますが、1遺伝子あたりの検出効率は下がります(Cervilla et al., Genome Biology, 2026)。「遺伝子数が多いほど良い」という選び方は成り立ちません。
💡 本来は、実験を計画する段階で決まっている
分けたい細胞型のマーカーがパネルに入っているか。見たい経路のリガンドと受容体が揃っているか。解析の段階では、もう選び直せません。これから実験する人には、この確認を先に勧めてください。
分けたい細胞型のマーカーがパネルに入っているか。見たい経路のリガンドと受容体が揃っているか。解析の段階では、もう選び直せません。これから実験する人には、この確認を先に勧めてください。
5. 原則3 ─ 正解が無いなら、既知の生物学を物差しにする
真の細胞境界を、誰も知りません。正解のラベルもありません。それでも評価はできます。成り立つはずの生物学を基準にすればよい。
| 場面 | 使った物差し |
|---|---|
| セグメンテーションの比較 | 同居しないはずのマーカーの共発現(純度) |
| 細胞レベルの QC | 面積と分子数の関係が、生物学的に妥当か |
| 細胞型アノテーション | マーカーが組織像であるべき場所に出るか |
| サブセル局在 | 核に留まるはずの転写産物が、核内に多く出るか |
💡 この発想は、他の場面にも応用できる
純度の指標が優れているのは、正解のラベルも真の境界も要らないことです。組織の生物学的な知識だけで計算でき、自分のデータで複数の手法を同じ物差しで比べられます。「正解が無い問題は評価できない」のではなく、何が成り立つはずかを先に決めれば、評価できる。新しい手法を試すときにも、この考え方が使えます。
純度の指標が優れているのは、正解のラベルも真の境界も要らないことです。組織の生物学的な知識だけで計算でき、自分のデータで複数の手法を同じ物差しで比べられます。「正解が無い問題は評価できない」のではなく、何が成り立つはずかを先に決めれば、評価できる。新しい手法を試すときにも、この考え方が使えます。
6. 検証の作法
- 組織像と重ねる。空間データには外部の基準がある。数字だけで判断しない。
- 切り方を変えて、結論が保たれるかを見る。セグメンテーションを2種類走らせ、下流の結果を比べる。
- マーカーを UMAP と組織像の両方に投影する。自動アノテーションの結果を、そのまま信じない。
- 指標を組で見る。分子数・面積・面積あたりの分子数。1つずつでは判断できない。
- 対照プローブで、故障箇所を切り分ける。対照コードワードが高ければ撮像、対照プローブだけが高ければ化学。
💡 2つの対照を並べる、という発想
対照プローブは化学と撮像の両方で光り、対照コードワードは撮像でしか光りません。測る範囲が違うので、大小関係が決まっている。その差が、故障箇所を教えてくれます。「2つの指標の関係そのものが情報を持つ」という考え方は、他の場面にも応用が効きます。
対照プローブは化学と撮像の両方で光り、対照コードワードは撮像でしか光りません。測る範囲が違うので、大小関係が決まっている。その差が、故障箇所を教えてくれます。「2つの指標の関係そのものが情報を持つ」という考え方は、他の場面にも応用が効きます。
7. どこから読むか

| 読み手 | おすすめの順番 |
|---|---|
| はじめて触る | 入口 → 前処理を順に → アノテーションまで |
| 手元にデータがある | 転写産物レベルの QC → セグメンテーションを比べる → 下流へ |
| 特定の問いがある | 下流の該当記事 → 前提の記事へさかのぼる |
⚠️ セグメンテーションの記事だけは、先に読む
全部を順に読む必要はありません。各記事の冒頭に、前提となる記事を書いてあります。ただしセグメンテーション手法の選び方だけは例外です。そこでの選択が、他のすべての記事の前提になっているからです。
全部を順に読む必要はありません。各記事の冒頭に、前提となる記事を書いてあります。ただしセグメンテーション手法の選び方だけは例外です。そこでの選択が、他のすべての記事の前提になっているからです。
8. このトラックの記事一覧
- 入口:イメージング型 空間トランスクリプトーム解析の全体像 / 前処理の全体像
- 分子の世界:データ読み込みとデータ構造 / 転写産物レベルの QC
- 境目:セグメンテーション手法の選び方
- 細胞の世界:細胞レベルの QC と正規化 / パネル制約下でのアノテーション
- 下流解析:ニッチ・近傍解析 / 空間の細胞間コミュニケーション / 空間ドメイン同定 / サブセル局在の解析
9. この方式にしかできないこと
- 単一細胞解像度での近傍解析。どの細胞型がどの細胞型の隣にいるかを、直接数えられる。
- 接触を条件にした細胞間コミュニケーション。届く距離にいるかまで確かめられる。
- サブセル局在。分子の座標が残っているので、細胞の中のどこにあったかが分かる。これは行列に集約した時点で捨てられている情報で、1分子の表に戻れば、いつでも取り出せる。
💡 強みと弱みは、同じところから来ている
1分子ずつ測るからこそ、サブセル局在まで見られます。同じ理由で、細胞を自分で作らなければなりません。パネルを決めて測るからこそ、1分子を確実に検出できます。同じ理由で、パネルに無いものは見えません。強みと弱みは、技術の同じ性質から来ています。だから、どちらか一方だけを覚えても足りません。
1分子ずつ測るからこそ、サブセル局在まで見られます。同じ理由で、細胞を自分で作らなければなりません。パネルを決めて測るからこそ、1分子を確実に検出できます。同じ理由で、パネルに無いものは見えません。強みと弱みは、技術の同じ性質から来ています。だから、どちらか一方だけを覚えても足りません。
まとめ
- 測定されるのは1分子ごとの座標。細胞も行列も、そこから作る。
- 原則1:細胞は、測定されたものではなく作られたもの。切り方を変えて、結論が保たれるかを確かめる。
- 原則2:パネルが、結果の解像度の上限を決める。「検出されなかった」と「測っていない」を書き分ける。
- 原則3:正解が無いなら、既知の生物学を物差しにする。同居しないはずのマーカー、核に留まるはずの転写産物。
- 検証の作法は共通。組織像と重ねる・切り方を変える・マーカーを2つの空間に投影する・指標を組で見る。
- 全部を順に読む必要はないが、セグメンテーションの記事だけは先に読む。
- 強みと弱みは、技術の同じ性質から来ている。
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参考文献
- Petukhov, V., Xu, R. J., Soldatov, R. A., et al. (2022). Cell segmentation in imaging-based spatial transcriptomics. Nature Biotechnology, 40(3), 345–354. doi:10.1038/s41587-021-01044-w
- Heidari, E., Moorman, A., Unyi, D., et al. (2025). Segger: fast and accurate cell segmentation of imaging-based spatial transcriptomics data. bioRxiv(プレプリント). doi:10.1101/2025.03.14.643160
- Stringer, C., Wang, T., Michaelos, M., & Pachitariu, M. (2021). Cellpose: a generalist algorithm for cellular segmentation. Nature Methods, 18(1), 100–106. doi:10.1038/s41592-020-01018-x
- Schmidt, U., Weigert, M., Broaddus, C., & Myers, G. (2018). Cell detection with star-convex polygons. In Medical Image Computing and Computer Assisted Intervention (MICCAI) 2018, 265–273. doi:10.1007/978-3-030-00934-2_30
- Cervilla, S., Grases, D., Perez, E., et al. (2026). A technical comparison of spatial transcriptomics platforms across six cancer types. Genome Biology, 27, 22. doi:10.1186/s13059-026-03937-y
- Janesick, A., Shelansky, R., Gottscho, A. D., et al. (2023). High resolution mapping of the tumor microenvironment using integrated single-cell, spatial and in situ analysis. Nature Communications, 14(1), 8353. doi:10.1038/s41467-023-43458-x
- Schürch, C. M., Bhate, S. S., Barlow, G. L., et al. (2020). Coordinated cellular neighborhoods orchestrate antitumoral immunity at the colorectal cancer invasive front. Cell, 182(5), 1341–1359.e19. doi:10.1016/j.cell.2020.07.005
- Cang, Z., Zhao, Y., Almet, A. A., et al. (2023). Screening cell–cell communication in spatial transcriptomics via collective optimal transport. Nature Methods, 20(2), 218–228. doi:10.1038/s41592-022-01728-4
- Singhal, V., Chou, N., Lee, J., et al. (2024). BANKSY unifies cell typing and tissue domain segmentation for scalable spatial omics data analysis. Nature Genetics, 56(3), 431–441. doi:10.1038/s41588-024-01664-3
- Marconato, L., Palla, G., Yamauchi, K. A., et al. (2025). SpatialData: an open and universal data framework for spatial omics. Nature Methods, 22(1), 58–62. doi:10.1038/s41592-024-02212-x
- Palla, G., Spitzer, H., Klein, M., et al. (2022). Squidpy: a scalable framework for spatial omics analysis. Nature Methods, 19(2), 171–178. doi:10.1038/s41592-021-01358-2
- Wolf, F. A., Angerer, P., & Theis, F. J. (2018). SCANPY: large-scale single-cell gene expression data analysis. Genome Biology, 19, 15. doi:10.1186/s13059-017-1382-0

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